高校時代
高校時代は三年間ラグビー部でした。
親友に連れられて興味もないラグビー部によく入部して三年間もやり遂げたなと思います。
身体の小さい私は1年の頃はFL、WTBでした。
FLの時はガンガンタックルしたのを覚えています。
その点WTBはトライシーンはさほどなく、FLよりは楽なポジションだなんて思っていましたね。
先輩達や同期の連中にも恵まれたのが今でも良い思い出になっているのでしょう。
同期の友人達とは、今でも年に1度は集まっています。
1年から3年まで監督も同じでしたし、2年から本格的にスタートしたSH人生も監督がSH出身で教え方もうまく、楽しい先生でもあり時には厳しい監督でもあり、面白かったですね。
パスの方法、サインプレー、ポジション取り、キックなど色々教わりました。
スクラムからの球出しについてはSHならではのこだわりがありましたね。
三年間、夏休みに四国の久万高原に1週間合宿に行きました。
午前と午後に1試合づつあり、毎日身体はボロボロ、あちこち痛い、けが人は続出するわ、しかし、私は3年の先輩がなかなか部に参加しなくなり2年ではスタメンとなりリザーブメンバーもいないことから常に試合に出場していました。
隠れてビール飲んだり、タバコすったり疲れているはずなのにやはり高校生!元気!
楽しかったなあ。
合宿所のご飯は常にみな大盛り!うまかったけど、食うの大変だった。
ビーズに稲葉にそっくりなイケメンな先輩がおりまして、よく隣の高校からフェンス越しに女の子達が練習を観にくるんです、関係ない私たちもちょっと意識しちゃったりするんですよね~。
休みは正月と盆しかなかったように記憶しています。練習はきつかったけど、今考えるとそこまで苦じゃなかったんです。
仕事はブラックで、休みない、拘束時間長いでいい加減うんざりですが。
3年になるとバイスキャプテンとなり、キャプテンとは連携してチームをまとめました。
当時、ちょうどラグビーWCイヤーで、毎晩のように試合をみて、セットプレーからのサインプレーなんかをよく真似して試行錯誤していました。
その甲斐もあってか、県大会では決勝までコマを進め、TV中継もあり、善戦も虚しく惜しくも敗退してしまいました。
ロッカールームでは監督も私たちも皆涙を流していました。
これだ終わりなんだと思うと、寂しくなってしまったんですよね。
社会人でも数年間プレーし、子供も出来、今では子供も高校行ったらラグビーしたいと申しております。
もしそうなれば、しっかりラグビーの基礎、ルール、面白さを叩き込んでやりたいと思います!
次男にはジャパンのユニフォームをプレゼントしました。気に入って小学校にも着てるようです。今年はサンウルブズのユニフォームをプレゼントしたいなーなんて考えています。